HANDI CRAFTS BOUNA VISTA

Episode

〜ジービーズ(天珠)にまつわるお話〜



伝世と出土



日本では天珠などと呼ばれてコピー品が大量に出回っておりますが
チベット文化圏ではズィとかジーと発音いたします。
天珠というのは漢民族目線での言い回しですので
ご存知のように中国に実効支配され、
現在も多くのチベット難民がいるようなこの状況では
あまり良い呼び方とは言えないと思います。
僕の仲間のチベット人はこの呼び名に対して嫌悪感をもっておるものが少なくありません。
本当にチベットの文化を尊重し愛するのであれば、
普通はこうした言い回しにはならないはずなのですが
残念ながらチベットを知らず商売優先の現状がこのような状況を生んでおります。
 
さて、こうしたコピー品は論外として
古物の世界でも最も判別の難しいものの1つとも言われる本物のジーは非常に数が少なく、高価なため、
偽物やリペア品が多く実は選べるというほど数がある状況にはございません。
当店には外国のお客様も多くいらっしゃいますがチベット人の方も多くおられます。
つまりチベットでも本物を見つけるのは容易ではなく、それなりの知識とコネクションがなければ
本物を見極めることも手に入れることもできないというのが現状でございます。
 
本物のジーについてお話を続けてまいりますとジーには大きく分けて2種類がございます。
それはチベット人が何世代にも渡って大切に守り続けてきた伝世品とつい最近発見されました発掘品です。
 
現在、本物のジーの市場では約8割が発掘品と言われチベットにおいても伝世品を見つけるのは困難になってきています。
 
それでは発掘品と伝世品の違いについてでございますが発掘品は見た目が少し乾いた感じです。
また、色がやや薄く 使用期間が短いため、状態が良いものが多く見られるのも特徴です。
しかし、これは全てにあてはまるわけではなく、伝世と見間違う景色の物も多数存在しますので注意が必要です。
そして、出土品はそのほとんどが埋葬品です。
つまりミイラなどと一緒にジーが出てきたりします。
これは我々側の問題なのですが、
こうした事実をお客様にお伝えする販売者はほとんどおられません。
事実を知らないケースが多いのですが、知っていても売れなくなるので言わないこともあるようです・・
けれども、やはりお客様には本当のことを伝えるべきだと思いますし、僕なら知りたいと思いますから・・
ジーの場合、当店ではお客様にお伝えしています。
 
ここからは伝世品の特徴です。
伝世品は代々受け継がれてきたものですのですので、傷や減りが多く見られます。
何十人、何百人とチベット人によって守られてきた石ですので人々の歴史や思いがその石に込められています。
しかし、そうした歴史を負った痕とも言われる独特の色、減りや傷、滑らかな肌、風化紋だけを見極めの材料とするのはとても危険です。
残念ながら出土品にも同じようなものは多数存在いたします。
そうではない、最も重要なポイントがいくつかございます。
重要な部分ですのでここでは控えさせていただきますが、
見た目の雰囲気だけでは決めてはいけないということだけは頭に十分入れておいてください。
 
伝世のジーはいくつもの歴史をかいくぐりそれぞれの主と共に旅をし守られてきました。
大切な人が病に伏した時、薬とし削ることもあります。
自身の最も大切なものとして寺院に一部を切断して供物としてささげることもあります。
仏画の材として提供することもあります。

五体投地の際に石畳にぶつけることもあったでしょう。
落馬して破損したこともあったでしょう。
崖から転落しおおきな傷を負ったこともあったでしょう。
あの過酷な天空の地で生き続けた伝世のジービーズには出土品には無い重みと愛おしさみたいなものがあると思います。
 

僕はよくジーを見て想像します。
1000年前、このジーは誰がつけていたんだろう・・・
500年前、このジーはどこを旅していたんだろう・・・
そんなことを考えると
今ここにある奇跡みたいなものを感じ
ジーを触りながら
1人で感動しています。
 
 
こうしたことから、ジーを本当に愛する人々は伝世にこだわります。
僕の現地の仲間もそうですし、
当店のほとんどのお客様も同じです。
ですから来歴の良い伝世の品が高くなりますし、貴重になります。
ただ、残念ながらその本質を知らない多くの販売者は単なる石として、アンティークビーズとして、その辺の骨董品と同じような扱いをしています。
こういう状況ですから事実を知らないでご購入された方々はジーについて何もわからず、
ただなんとなくありがたいというような感じで身につけているだけになってしまいます。 ジーを持たれ、当店に初めてお越しなる方で
本物なのに伝世品か出土品かわからずにお着けになられている方をたまに見かけます。
また、出所さえも分からない場合もございます。
ジーの魅力の一つに、人から人へそれぞれの思いと共に脈々と受け継がれてきたことがあげられます。
その歴史がある日突然、プツリと切れてしまうのはとても悲しいことです。
たとえチベット人ではなくてもその意志を受け継ぎ守っていくことができたら素敵だと思いませんか・・・?




古物に触れるというのはその背景を楽しむものとも言われます。
そこに手を出すということはそのものが踏んできた歴史を負うことだとも言われます


伝世品と出土品・・・
その差はあまりにも大きい・・・
 
一度たりとも途切れることなく・・・
祈りを込め守られてきた数え切れぬほどの人々の想いがこの石はつまっています。
 
この石の真価は
まさに「そこ」に気づいた時知ることができ、、
その時はじめてジーがあなたに語りかけて来る日が訪れるのかもしれません・・・
 



 
当店でジーをご購入されるお客様には必ずこうしたお話をさせていただいております。
そして、少しでもジーを理解していただき、
ジーをお召になることで今後の人生に少しでも良い風が吹いていただければと願っております。


2009.8.27
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ジーを売るということ




今日は陛下のお誕生日ですね。

今上天皇は
僕が知る限り最も日本で仏様に近いような方のお一人だと思っています。

民俗学的には神様と言った方がいいのかもしれませんが・・
ここは僕なりのスタンスでお話しさせていただくと、
今上天皇は人格者だと思っていますので、
例えばチベット仏教の世界でいったら
あの方は観音様の生まれ変わりとか
よく言われますが、
陛下は遠くから見ている僕でも、
そんな感覚をいだかせるほど、
立派な方だと思っています。


おひとつおひとつの行動。
お言葉。
どれをとっても・・
そうそうできることじゃないように思います。

それは右左立場関係なくね。
みなさんそう思われるんじゃないでしょうか。


少なくとも・・
僕が知ってるどっかのお坊さんより
はるかに格上です(笑)
次元が違うって感じ。






さて・・

ジービーズです。

僕も陛下にならって・・
少しは戦いたいと思います。



未だあいかわらず・・・
天珠天珠とコピーを売ってる方々がいます。
まぁ・・お金大好きなんだから
それは別に悪いことではないし、
そこは許容します。
たくさん税金納めてください。

でもね・・
チベットのカルチャーを売ってるんだから、
せめてチベット人に配慮しろと言いたい。
せめてジーの歴史ぐらいは自分で勉強しろといいたい。
仏教くらいは勉強しろといいたい。

お客様からお金を頂くということの意味を
仏の世界に生きた文化を売ろうとしている人間が
理解できていないという
その底の浅さをよく考えた方がいい。



まぁ・・
どこをみても本当にひどいよね・・


自分さえよければOK
好きなことさえ続けられればOK
みたいな感じがむき出しで・・


そもそも
ジーを迎えるってね・・
その真逆にある世界でしょ。

出来てきたかどうか別として・・
少なくともその思想の中に生きてきたことは事実でしょ。

そして
そういうものを売るっていうことがどうことなのか・・
よく考えてみることが大事。



旅が続けられればいいとか・・
好きな石にかこまれていられればいいとか・・
お客様ならそれは自由だけど、
提供する側がそれじゃダメなの。
わかるかな??

そんな次元の人が
ジーを扱うって・・・

あなたはジーをプロとして見つめてきて、
いったい何を学んだの??
ってことなんです。
チベットに関わって
いったい何を学んできたの??
ってことなんです。


あ〜空がきれいだね〜
じゃないの。
わかるかな??

あなたは伝える側なんだから・・





それを迎えるおひとりおひとりに
しっかり向き合い応えていく事。
売る側は
何よりその精神を研ぎ澄ませていかないといけない。

答えはひとつではないし、
色々あっていい。

でもね・・
自身が先にたったらダメなの。
迎えてくれる方の事をまず考える。
何よりもまずね・・・


これで
今度車買っちゃおうじゃだめなの。


そして
それがわかってくれば
自然と行動が変わってくる。
言葉が変わってくる。


提供する側が
思想に生きた世界のものに触れるっていうのは
僕はそういうことだと思う。


そして
そこに気づけなかったら・・
きっと何にも見れていないのと同じだと思うよ。




もう一度言います。

売る側のみなさんへ。


あなたを信じて
お客様は買ってくれるんですね・・・

お客様は何にも知らないんです。

だから、
そこに携わる側がちゃんと伝えてあげないといけない。




いつでも・・
あなたの持てる限りの
最高のパフォーマンスで
迎えてあげてくださいね。
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天珠屋の不思議・・

この間、海外でたまたま別のものを見に街を歩いていたら、コピーのジーを一生懸命客に説明している石屋がいました。
日本だとこんなことしませんが海外だったので僕も近寄って少し聞いてみました。





店主: ここに風化紋があるだろ・・これはジーの特徴の一つで非常に良い石にあらわれるんだ。

客: でもこれ新しいものなんだろ?

店主: そうだ。新しいと言ってもそんじょそこらの天珠とは違う。チベットで大事にされてきた非常に貴重な石を使っている。どうだ、こちら
     の石とまったく雰囲気が違うだろ!(日本でよく売られているようなゴムに通したブレスレットにつけられているようなジーを持って
      比べています)

客: 確かに。これは味わい深いね。肌がつるつるしておらず、まるで長年使ってきたもののようだ。

店主: そうだろう。しかもこれには紅朱砂といって赤い斑点もある。これは超高級な石の証であり強い力を持っている証しでもある。

客: そうか・・。他にもあるのか?

店主: (店の奥からルビーやサファイヤの裸石を入れるようなケースを持ってきて、)これはめったに手に入れることのできない天珠達だ
     が、長い間この世界に関わってきた俺だから手に入れることができた。しかも、ついこの間チベット人から譲ってもらったばかりだ
     。おまえはとても運がいい。

客: (少し興奮して・・) この9眼天珠いくらなんだ?

店主: 本当ならこれくらいはする。(計算機で日本円で100万円くらいを提示する) しかし、お前は運がいい。今回は特別にこれでいい
     。(45万円くらいを提示)

客: (かなり興奮した様子で)もう少しまけてくれ。

店主: (しばらく考えたふりをしながら・・)。これがラストプライスだ。(40万円位を提示)




この先はみなさんが良く見る海外での買い物風景と同じ感じが続きます・・

ばかばかしくなってその場を離れましたが、
まぁ・・ひどいものだと思いつつ、突っ込みどころ満載の天珠屋劇場をあとにしました。



この世界を知る人だったらそもそも最初のその風化紋でおかしいでしょ?と思うはずです。

風化紋は気の遠くなるような時代をかけて生じる現象でそれをわざわざ新しいものに「風化紋的なもの」を付けていること自体、
意図(悪意)が見え見えですよね・・・

値をつけることにそもそも意味があるかわかりませんが、
骨董の世界では本物に似せたものほどコピー自体の値が下がることがあります。それは明らかに意図(悪意)が見えるからです。

天珠とか言ってコピーを売っている店に共通しているのは
そうした意図が見えるものほどやたらと高くなる傾向があるということ。
これっておかしいいですよね。
力を入れた偽物のほうが高いなんて。
商売の精神からいったらまったく逆ですよね。

ここでひとつの結論が見えてきます。
つまりコピーの世界はそもそもある意図の中で生まれ、生きてきたということ。
だから、値段が逆の方に動く。

発生理由が違うコピーはただの石ころですから、

そのもの自体で売ることができないので誕生石の文句のようにこの文様がああだとかこうだとか、
そもそもジーの本質から逸脱していているにもかかわらず
儲け話に眼をつけた中国や台湾の業者にまんまとのせられてチベットの心を無視し、わけのわからない値をつけて売ってしまう。
いくらでも生産できるコピーは一般の方には一番目につきますから、
どこかの将軍様のいる国のように操られていることに一般の人は気づかず偽りの情報だけが独り歩きする。


人権と民主主義を重んじる日本人までがなぜそこに手を染めるのか理解に苦しみます・・



僕の仲間は言います。

そんなもの(コピー)をもって人生が変わるくらいだったら苦労はしない。

そんな程度で変わる人生だったらそもそも大した人生ではない。

我々が守ってきたジーはそんな小さな存在ではない・・

全てを超えたものとして我々の中で生きているのだと・・・


2010.9.22

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ジーの見方


それがナチュラルなのか・・・

それとも人工的に描いたものなのか・・・



チベットではいずれもジーとして形容することがあり、
瑪瑙全体をそう呼ぶことも珍しくはありません。


ですので、
語学的な視点や
民俗学的な視点で語るのであれば
それは曖昧であっても
我々のようなプロ以外には
あまり大きな影響はないかもしれません。



しかし、
お客様に提供するという立場になれば、
もしくは研究者が説明するという立場になれば
話は別で、
そこは明確な線引きをしていくこと、
丁寧な説明をしていくことが
要求されるべきです。



ただ・・
残念ながら・・

その見極めをできる者はほぼおらず、
今年も人工的な絵として他店舗様で購入したものを
お召しになっている方を何名か見てきています。


これね・・
簡単そうで意外と難しいんです。
だから気を付けてください。

来歴に変化は生じずとも・・
それで値段はかなり変わるわけですから・・





「これナチュラルですよ・・」

なんてことを言うと・・
しばらくお客様は
何を言ってるのかわからなくなるような・・
放心状態になる方もおられますが・・・

そうならないようにするためにはどうしたらいいのかを
よく自身の胸に手をあてて考えてみることが大事です。




自分はなぜジーを迎えようとしているのか。

ジーを迎えることで何を得ようとしているか。



そして最も大事なのは
ジーはどういう環境と思想の中で生きて来たのかを
よく考えてみることです。





単なるお飾りなのか。
それとも単なるコレクションなのか。

そうではありませんよね・・・



だから人はジーに惹かれるし、
人は千年を超えジーを守ってきたんです。





ジーを知るには仏教を知らなければ
永遠に理解は及びません。

仏の世界に生きたことの意味を
感ずる心が無ければ
ジーを見ることは永遠にできません。




売る側はどのことを
よくよく考え、
お客様に渡してほしいと思います。
 
 
 
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ジービーズを見極める以前の姿勢として


「天珠」と呼ばれ売られているコピーの中で
アンティークと称して「老天珠」などと言って売られているケースが良く見られます。
 
そしてそのジーの経緯に「こちらはある僧侶から・・・」とか「ある寺院から・・」という文句が出てきたら、
ほぼ間違いなくコピー品だと思ってよいかと思います。
 
チベット密教僧侶から譲り受けたものにそもそもコピーうんぬんということ自体おかしいのでは・・
という言葉をチベタンアンティークの世界を知らないチベット好きな人々からよく聞かれますが、
骨董・美術の世界はそういう思想的感情の世界だけに支配されているものではありません。
 
商機の中で見出され台湾や中国で生まれたコピーはたとえこの先千年を経過しようとも、
たとえダライラマがお持ちになられたとしてもコピーはコピーで、
それ以上でもそれ以下でもありません。
それは発生した意図が大きく異なるからです。
 
いままで由緒正しい美術館で入館料を払い多くの方に見られていた世界的名画も
コピーであるとわかった瞬間に姿を消すのと同じように
コピーはどんな環境に置かれようともそのものの存在自体を変えることはできません。
 
 
日本人のほぼすべてが日本の骨董の世界をまったく知らないのと同じように、
チベット人であるからといって、僧侶であるからといって、チベタンアンティーク、
とりわけ、オリジナルのジーについて理解があるわけではありません。
 
現地では僧侶がジーを持っている姿を何度も見たことはありますが、
本物のジーを持つ僧侶にほとんど出会ったことはありません。
大体、そういう僧侶はあまり大したことのない商売熱心な僧侶だったりします・・・
 
 
そもそも、ジーはチベットに密教が伝わるはるか以前にこの世に誕生し、
かつてはアジア世界に広く浸透していた石であり、
チベット世界のみで生きていたわけではありません。
これはアジアの古代史を見ても変えることのできない事実です。
つまり、チベット密教との深いかかわりはあるにせよ、
僧侶がお持ちになられているからとか、
寺院で開眼されたものであるからとか、
そういう次元のものではオリジナルのジーはそもそもないということを
我々伝える側の人間はよくよく理解しておかなければいけません。
 
 
今回も、旅の途中であるチベット人のおじいちゃんからお礼にと、
自身の身につけておられたガウに何度も1粒1粒頭蓋骨型に彫られた数珠を
マントラを唱えながらあて、
手渡してくれました。
 
本来であれば材は象牙、もしくは・・という品でありますが、
いただいたものはヤクの骨の新品でした。
確かにこれはこれで意味のあるものだと思います。
ただ、それは個人的な経験と感情から発生した客観性の得られない見方であって、
チベット美術の中で語ることのできる世界のものではありません。
 
 
 
 
スピリチュアルな方向、思想的な方向に傾倒するのは理解はできますが、
人様にお渡しをする以上、
常に冷静な視点を持つこともこの世界では重要です。
そして、この世界にご興味のない方であっても、理路整然と説明し得る知識と心構えを持つことこそ、
彼らの愛する宗教の教えに沿うであろう社会に対する責任であり、
その姿勢こそが彼らの文化への真の理解へ繋がる道と当店は考えます。


 
 
 
 収集家と愛好家

なぜそうなってしまうのか…

旅先で出会った何処かのディーラーの品をプロであるにもかかわらず公に向け公開する行為は、
我々の世界ではマナー違反だとよく言われます。

自身が所有していない品を公開する理由は運営するウェブサイトへの集客や「箔」を付けたがる思考から生じるのだと思いますが、
それをこれから持ち共に生きていこうとされる同じ世界を愛する方の事を考えれば軽々にすべきではないでしょう。
気持ちはわからないでもありませんが、自己の利のためにこの世界の愛好家の心を想像しないやや幼い思考は、
同じ世界を大切にする者として残念で仕方がありません。
ネットだけの取引をしていたり、売ったらそれで終わりというようなスタイルがそうさせるのでしょう。
ジーを大切にされているお客様との長い信頼関係から得られるお客様のジーへの思いなどを
知ることのできない底の浅い取引のみしているから、
こうした商売人の基本ともいえる当たり前のことすら気づくことがないのかもしれません。
おそらく、そういう方は著者の苦労も想像せず書籍の写真も平気で無断転載する可能性があるでしょう。
まず自身の為に行動し、お客様はもちろん社会に対しての立ち位置を意識していない結果、それを許してしまう・・・

本人自身が・・収集家と愛好家との違いに気付いていないのではないでしょうか・・・

どちらが正しいとか、良いとかそういうことは言うつもりはありません。
収集することも人生を潤す楽しみとしてとても素敵なことだと思います。
しかし、少なくともこの世界の多くの方が単なる収集家ではなく愛好家であることが多いということは事実で、
それは単にそのものを所有することだけに意味を持ち接しているのではなく、
そこに自身の歴史を重ね共に歩もうとする、、、時に愛に満ちた精神を垣間見ることができる世界。
そうした方との出会いこそ、我々の仕事の最も大きな喜びなのではないかと思います。


ジービーズを例えて挙げてみると、2アイやら3アイなどが無造作にいくつも通された絵はその典型で、
現地のディーラーから得た景色でしょう。
全てを所有するには情熱だけではなく覚悟もいります。
しかしながら当然その覚悟は持ち合わせていないので、
保有せず、絵として載せることでお客様から注目を浴びることを思考し、目先の行動に出る。
繰り返しになるが、これから持つであろう世界のどこかの我々と同じ世界を愛する人の事を考えれば、
通常、その行為は躊躇せざるを得ないはず。
ジーに世話になり、ジーを愛する人のお陰で今の自身があることを考えれば、恩を仇で返す様な行為はすべきではないでしょう。


当店には世界中で動いてきたジービーズの写真が数千とあります。
9アイはもちろん、9アイを遥かに超える値が付く世界で唯一のジーの絵もあります。
好きな方にとってみれば見たくてしかたのない絵がたくさんあるでしょう。
そして、その絵を公開すれば集客にも多いに役立つことでしょう。
しかし、当店で所有していないジーは決して公開はしてきませんでした。
そしてもちろんこれからもするつもりはありません。
それは、今、おもちになられている方、これからお持ちになられる方への最低限の配慮からです。



僕がジーの扱いをやめるときは・・
自身の体力や店の状況は別として、チベットからではなく台湾や香港、
もしくは日本人などのコレクターからしかほぼ手に入らなくなったらでしょう。
来歴も何もかもを無視し、ただ右から左に動かすだけの手数料ビジネスには興味はありません。
そもそもチベット人以外で、「特別な理由」を除きジーを売りたいという思考の人からのジーにはあまり関心がありません。
もっとお金を稼ぎたいなんていう中国の方に多いのですが・・
たぶん・・・そういうジーでも全然平気な人はジーのこと本当は好きじゃないんじゃないでしょうか・・・

まぁ・・世の中の多くの骨董品はコレクター間を移動する手数料ビジネスですからそれが普通ではありますが、
普通のことするために僕はこの世界に生きたわけではないですし・・・
価値観を変えたい、真実を伝えたいと思ってやってきたわけですから・・・


せっかく頂いた人生です。
思い切りとことんこだわって生きたいものです。



こんな一節がよく小説で見られます。
恋から愛へ変わる時、自身の命が他の為に費やされることに喜びを感じられるようになる…

僕は思う。
この世界、「収集」から一歩抜け出た時、はじめてそのものの真髄に触れることができるようになるのではないかと。


2011. 4.7
 
 
 
 祈りと共にいきてきたからこそ・・・

ジービーズを単なるアンティークビーズの延長線上に観ている人はその本質に永遠に気付くことはないでしょう・・・

そんなの面倒とか言う方もおられると思いますが、
そうであればこうした特異な背景を持つ美術品に触れる意義はありません。

なぜなら、その視点がなければそれを守ってきた人々の気持ちは到底理解できず、
理解しようとする行為そのものがこうした美術品に「触れる」ということだからです。




「仏像にはそれが作られた時代や、その土地に生きた人々の祈りや願いが秘められている。
そうした心を撮ることが、仏像を撮るということだと後に気づいた・・・」

日本屈指の古美術写真家の小川光三さんの言葉です。



伝世のジーになぜこだわるのか・・・
まさにこの言葉にそのこたえがあると思っています。


僕は多いときで年間、50近くの寺社を訪れますが、
仏像の前にたたずむとき、
この仏様の前で今までどれほどの人々が祈ってきたのだろう・・・ 
といつも想像します。

眼を閉じ手を合わせるとき、
いままで同じように手を合わせてこられた無数の方々の思いが
かすかにゆらめく灯明の先から永遠と天空に伸びていくような感覚を覚えます。
その時の感覚が・・ジーに触れている時に似ている気がしています。

 

ジーもそう・・・
いままでこの石に祈りを込め受け継ぎ守ってきてくれた人たちの想いを抱き、
千年の時を超え、自身のそばにいてくれることに感謝の気持ちで満たされます。


ジーが他のアンティークビーズと決定的に違うところがそこなのだと思います。
ジーを身に着けるということは・・
誰にでもできることではなく・・・

そして・・・
とてもとてもありがたいこと・・・

 

かつてチベットの仲間が話してくれた言葉があります。

ジーは全てを超えたところにある存在・・・

 

ありがとう・・・




 
 
ジーの購入方法 
よくウェブ上に一生懸命拡大画像を載せて本物かどうかは知りませんがお売りになっている方がおられますが
あれはほとんど意味はありません。
あれでわかるレベルの方はもっと小さくてもわかりますし、
あそこまでしないとわからない方は・・
残念ながらわかっていないのとほとんど同じです。

当店もウェブ上で販売をしておりますので自戒の意味も込めてお話をさせていただきますと
お身体が不自由な方やどうしても外に出ることができない方など特別な場合を除いて
ネットでジーを購入されるのは極力避けたほうがいいと思います。

それにはいくつか理由がございます。

1つ目は、
そもそも画像では見極めはできません。
わずか1mmのリペアなどは非常に精度が高くまずほとんどの方がわかりません。
売っておられる方がそれに気づいているのかいないのかはわかりませんが、
ああした行為はほとんど演出の世界です。
わかる方はある程度離れていても店の全体を見て大体判断できます。

2つ目は、
この世界は対面販売で鍛えられる世界ということです。
ほぼネットのみで販売をされている店舗さんからは概ね通販という形でしか購入する方法はございませんが、
例えばジーなどの高額品はメールによるやり取りが中心となりますので
それはお店さん側に考える時間を与えるということにもなります。
対面販売ではお店の方の顔色、言い回し、しぐさなどでお客様は「何か」を読み取ることができます。
また、ジーをお求めになられるお客様は千人おられれば千通りの想いがございます。
そうしたそれぞれのお客様の想いやお気持ち、ご要望を斟酌しながらお話をさせていただくことがお店側にはとても大事ですし、
そうした多くの経験があってこそ、
大切に貯められたお客様のお金を頂くことの意味がわかってくるものだと思います。
ですので実店舗で長く生きてきたお店はそれなりに整っているはずです。
もちろん・・・ すべてとは申しませんが・・・

3つ目は、
実際にお客様ご自身の眼で見、手で触れ、時には匂いを感ずることで得られる情報が
この世界にはあまりにも多いということです。
みなさん、美術館に行かれて絵をご覧になられますよね。
名画ならもちろん今はネット上でもご覧になれます。
けれどもそれは全然違いますよね・・・ 
人が人である限り、そこを代わることはできなでしょう。
そして、その決定的な違いに気づかれることで「チベット伝世」の意味もまた見え方が変わってくるのだと思います。


最後に海外からの通販について時々お問合せがありますのでお話をさせていただきます。
当店は香港、台湾、中国はもちろん欧州からもご注文を頂いております。
しかしながら、海外でのご注文は日本で一端関税が発生し、さらにお住まいの国でもう一度関税が発生いたしますので
税に税がかかるというお客様にとっては非常に不利な状況にならざるを得ません。
これは日本のお客様がチベット以外の第3国から輸入をされるときも同じことが言えます。
先に述べた3つの視点もそうですが、外国からはさらにこうした不利な点もあるということは知っておいた方がよいと思います。
もちろん、ご購入された金額ではなく極端に低い金額を明記して郵便にて送ってこられる方が大半だとは思いますが・・(笑)
それはお店さん側だけではなくお客様にも大きな「責任」が及びますので、
そのような場合はそもそも、なぜ、ジーを身に着けたいのかをもう一度よくお考えになった方が良いかもしれません。



 
 
本物とは何か
本物とは何か。その定義とはどういうものなのか。
それにはまずジーの歴史を知ることが前提となります。

歴史についてここで詳しく書きすぎますと、またコピーが氾濫しますので詳しく知りたい方はお問合せください。
ということで歴史についてはここでは割愛いたします。



さて、最近、都内や地方の骨董市やネットショップなどでもやたらと見ますが、
最近までチベット人が着用していた台湾や中国製の瑪瑙のジービーズ(コピー品)。
長いものですと50年程度は経過している場合もあります。
おそらく世に出回る古いと言われているジービーズの9割以上がこの台湾製中国製のコピーでしょう。
それを100年200年着けられてきた愛しきジービーズだと適当なことを言っておられる方がたくさん見られるようですが、
それはあなた方が勝手に片思いをしているだけで、
世界の常識ではそれはコピー品であってそれ以上でも以下でもありません。



古美術の世界には「筋」というものがありまして、
その「筋」にのったものでなければどんなにがんばっても本物にはなりません。

例えばある地方の豪商の末裔の蔵から古備前の壺が出てきます。
話を聞くと来歴も申し分がないし、なにより形もいい。
そしてそれを聞きつけたある地方の美術館が買い、しばらく展示することになりました。
けれども5年後、よく調べてみると大正の終わりの腕の立つ贋作者の仕事であったことが判明します。
さあ、どうでしょう。これはまだ本物なのでしょうか。
そうです。当然偽物です。ただのおもちゃというにはかわいそうかもしれませんが、
先ほど話した「筋」に叶ったものではありません。
ですからどんなに由緒正しい家柄の蔵から出ようが、
立派な美術館に並ぼうが筋の違うものですので永遠に本物にはなりません。


さて、先ほどのジーはどうでしょうか。
台湾中国で商用として作られた、中には大金を得ようと古物に似せた実に嫌味のあるジーが
何も知らないうぶなチベット人によって30年40年と大量に受け継がれてしまう。
その間、古色もついてしまい悪い意味で時代もついてしまう。
そしてそれを知ってか知らずかチベット人ディーラーの手に転がされ、
骨董屋にでもたどり着いたころには色んな話がのせられ愛しさあふれる魅惑のジービーズに変貌する。


しかし、先に述べたようにこれは「筋」が違う。
確かにチベット人によって着用されてきたものかもしれないけれど、
それは単なる時代のいいわけみたいなものであってそれだからといって「筋」に叶ったジービーズにはなりません。
永遠にです。
例え有名寺院に収まっていたとしても、
高僧がお付けになられていたとしてもです。


ここで先に触れた歴史が大事になるのですが
ジーが誕生した紀元前後。
その時代に生きたジーは人々の願いに乗せられ生まれ守られてきたもの。
これがジーの正しい姿。
いわゆる筋の通ったジービーズです。

どこかの商人が一生懸命本物をまねて金目当てに作ったものとはまったく違う。




ゴッホが描いた絵でなければゴッホの絵ではありません。
モネが描いた絵でなければそれはモネの絵ではありません。


この本質を見る当たり前の思考ができていない業者が多いから
お客様がまんまとそれに踊らされてしまう。

もしくはわかっていてもタダみたいな値で入れたものが何十倍にもなるのがやめられなくて、
業者もいつまでたってもそこに足を突っ込んだまま抜けられない・・


情けない話ではありますが、
そんなのがこの世界はうじゃうじゃいます。
当店にも「見てください」みたいな方が後を絶ちませんが、
僕は場を温めることなく見てくださいなんていうものを見る気にはならないんですが、
それでも日本でまともに見れる人がいない以上、場合によっては仕方なく見てきたわけですが、
まぁ、ひどいものでした。
100回見たら99回はアウト。
99回のうち80回はもう見る前にアウト。


たまに本物が出てきたかと思えば、
一切の来歴をお持ちのお客様ご本人が知らないとかね・・・
いったい日本の業者は何してるんでしょうか・・
もう少し・・
いやもっとお客様と守ってきたくれたチベットの人々に寄り添った気持ちで商売できないもんでしょうか・・・





いつも言ってるんですが、
人は間違うことはあります。
けれども何年もやっていれば気づくのが普通です。
気付いた時点で修正していくようでなければ
やっぱりよくありませんし、
何でこの世界に足を踏み入れたのかそもそもよくわからない。
お客様から指摘を受けたらちゃんと対応してあげてください。


ココを読んで改める売り手さんがおられればいいですが、
おそらく敵が増えるだけで・・そういう方はいないと思いますので・・(笑)
一般のみなさんは是非そのあたりをしっかり見つめて、
大切なお金を使ってください。


 
■出土品とは何か■
当店は国内のジーの流れを変える大きなきっかけをつくり、
そしてそれを定着させることがほぼできたと考えています。

その柱の中心が「伝世品の意味」だと言えます。

僕がなぜ、ずっと「伝世」と言ってきたのか・・
その原点ともなるお話です。






ジーを見るとき
最も重要な視点は何かと問われれば
それは間違いなくチベットの世界を生きて来たのかということになると言えます。


とんぼ玉の延長線上でジーを見ている方、
コレクションのひとつとしてジーを見ている方からは
真っ先に異論が出てきそうですが、

ならば、そういう方々に問いたい。
埋葬されたジーは何のためにそこに生きたのかということを。


古代エジプトは
おそらく世界で最も研究が進んだ古代文明のひとつ。

その副葬品について一度でも検証したことがあるのでしょうか。

その他たくさんの地域で瑪瑙が副葬品として
出土していますがその意味を考え、
ジーを迎えることの意義を考えたことがあるのでしょうか。



チベットで千年を生きたジーは
間違いなく密教という仏の世界で生きたジーです。
であるならば当然密教という世界観を理解しなければジーを語ることはできません。

日本のお寿司を語るとき、
日本文化を外せないと同じです。


仏の世界とは何か。

仏像の前に半日でも座り、感じてみてください。
少しはわかってくるはずです。




古代エジプトに於いてファラオたちはあれだけの副葬品をなぜそこに収めたのか。
副葬品は博物館に飾ってもらうために収めたのではありません。
断腸の想いでこの世を離れた人々が不安から解放され決して困らぬように
という願いを込めて収められたものです。


出土のジーもおそらくそうでしょう。
ブログにも書きましたがあの文様の意味はそこが出発点だったように感じます。




ジーにはとんぼ玉と違い
伝世品があります。

チベット生きたジーは仏の世界で祈りと共に人々の想いをのせ受け継がれてきました。
その愛しき石がもうわずかとなってきたけれども未だにこうして迎えることができる現実がある。

であるならば・・
我々はわざわざ出土品を選択する必要はありません。


それはジーを失いあの世とこの世をさまよう死者の為にも。
 
 
■イノベーション■
当店にはチベットからチベット人がチベットのものを買いに来ることがあります。

ここでもよく書いてきましたが
そんな時、僕がチベット人にチベットの品の説明をするんですね・・
はたから見るとおかしな光景でしょうが・・
これが現実です。


日本人のほぼすべてが古備前を語れないのと同じように
その世界のプロでなければわからないことが多いのがこの世界です。
ましてやチベットです。
正確な情報を得るのは非常に難しい地域と言わざるを得ませんし、
そもそも一般のチベット人が
考古学上、仏教美術上の視点で見ることなんできませんし、しません。

それはひとりごとのぺージでもお話をしたように
宗教学者さんが一般のチベット人の密教の見識に戸惑う理由と同じです。


伝世出土に関しても当然ほとんどのチベット人はよくわかっていません。
理解しているのは○千万のジーを知ってるやたらと詳しい僕の仲間達のような
超マニアックなチベット人と・・
内緒で出土品やコピーを流してるチベット人、
そして僕と交流のある一部のチベット人くらいだと思います。

その理由の大きなひとつにそもそも
チベット内では出土品がほぼ出回っていなかったからです。
シャンシュンなど一部例外はありますが、
その理由はチベットの仏教世界を知ればよくわかります。

けれでも80年代あたりで潮目が大きく変わります。
その理由を書くと困る方が相当出てくるので
ここでは控えますが・・・(笑)




では・・
もし・・それをチベットの方が知ったらどうなると思いますか?

当店に来られたチベット人に聞いてみてください。




当店が創業する前の日本。
ジービーズは伝世出土関係なく扱われてきました。
今でもとんぼ玉屋さんなんかはそういうところがあるでしょう。

それは誰もそこに目を向けなかったからです。
出土品の意味を理解しない。
仏教という世界を理解してこなかったからです。
ただの「もの」として見て来たからです。

そしてその方がずっと都合がよかったんです。



けれどもどうでしょうか・・
みなさんが事実を知ったことでどうなったでしょうか・・・
オセロのようにその景色が変わり始めたはずです。

これは僕の個人の力だけによるところではありません。
両者の違いを提示させていただくことで、
それを客観的に見つめた多くのお客様が判断した結果です。



では、なぜそれでも同じというのか・・・
売り手さんには大きく4つの理由があります。

1つ目は、今までがそうだったから。
2つ目は、見極めができないから。
3つめは、その意味がそもそもよく理解できないから。
4つ目は、出土という経緯に目が向くことを恐れているから。




社会は常にイノベーションを繰り返し、
人々の生活がより良い方向に向かうよう変化を続けていきます。
今の時代をよく嘆く人がいますが、
それでも100年前よりははるかに人々は長生きをし、幸せに暮らせるようになっているはずです。


この世界も同じです。
今まで通りのあり方で生きてきた人から反発が出るのはわかります。
けれども基本的には商売は我々売り手の為にあるのではありません。
それを受けるお客様の為にある。
商売人とはそういう精神が常に第一でなければいけない。






当店のお客様はジーに限らずほとんどの品物を転売しません。
例外もあるでしょうが・・・
それはなぜでしょう。


どちらが正しいなんてことは言いません。
それは個人の自由にしたらいい。


けれども・・・
転売されない当店のお客様はみなさん素敵ですよ。
それは僕が自信を持って言える。
生き様というか
心意気というか
実に清々しい。


これね・・
ここが大事なんです。

どんな場面においてもね・・・

「仏の世界で生きたものに触れる」というところの意味、
わかりますね・・



ある程度それぞれの世界で登りつめた人は
そのあたりをちゃんと心得ている。


そしてその精神が「筋」を理解する一歩に繋がるんです。


ジーを迎えるってそういうところもあると僕は思うんですね・・
 
 
■きっと変えられる・・・■
天珠と言ってコピーを売ってる方は
「手に入れることのできる本物」の存在を決して認めたくありません。
それは彼らにとって最も不都合な存在だからです。
ですから「本物はほとんど流通していません」とか
「数千万で取引されている」とかそこに気持ちが行かない様にするわけです。
そして「本物の定義」を例えば材質や出来、
つまり瑪瑙かどうかとか、文様が浸透しているかどうかとか、
そういうところに消費者の眼を向かわせるんです。

まぁ・・その大元は台湾中国の製造業者さんなんですけどね・・・
そのまま乗っかるなよ・・・
プロなんだからちょっとは自分で裏を取ろうよ・・・
ってつっこみたくなりますが・・(笑)


でも・・ここをご覧のみなさんはお分かりだと思いますが、
本来はそうではありませんよね。
例えばあの時代を生きたかどうか、商用として生まれたか否か、
そういう「意図」や「本質」にこそ、
他の骨董品同様に本来は眼を向けるべきなんです。


印刷され大量に出回るたゴッホのひまわり。
これは紙にしっかり印刷されているから本物で
こっちはデジタルだから偽物です・・とか・・
そういうレベルの話をしているんです。

どうですか・・・
これって正常な状態ですが・・・
ここは日本ですよ・・・



僕はいつも思うんですね。
政治もひとりでは動かないんです。
でもみんなで力をあわせれば変えられることもある。

規模が全然違うけれど・・
この世界も同じ。

「天珠はチベットで生まれたものです」とか
「仏教アイテムです」とか
もし、みなさんが「何かおかしいな?」とか・・・
「どういうことなのかな?」という記事を見かけたら
そこに勇気をもって質問をしてみてください。

その行動が運営側にはプレッシャーにもなるし、
そうすることで少しずつ良い方向に向かうと思うんです。

ここをご覧の方はきっとその辺の天珠屋さんよりはるかに知識がおありだと思います。
お持ちになるだけではなく、
これからジーを買われる方の為、
チベットの為、
そして正しい世界をつくる為に・・・

協力していただければとてもうれしいです。
 
 
■ジーの重さ■
「初めてお会いしたときは
けっこう言われちゃいましたよ・・(笑)」


長く当店をお越しのお客様から
たまにこんなお言葉をいただきます。


当店は世界中からお客様をお迎えしております。
けれどもやはり日本の方が圧倒的に多いわけです。
そして日本は狭いですから全国から、
九州や北海道なら日帰りのお客様も珍しくはありません。


当然、中には当店がはじめてではなく、
地元のお店さんである程度の知識や眼を備えてこられた方も少なくはありません。

けれども・・・
残念ながらジーに限ってお話をすると・・
着け方ひとつで大体その方がどのくらいの感じなのかがわかってしまう。

そしてまず間違いなく、
お話をしてみるとジーをよく理解していないんです。
伝世と出土の意味も全く理解していないんです。


ですから・・・
僕に言われちゃう・・・(笑)

そうじゃない
こうじゃないって・・・(笑)


もちろんお客様がそれまで大事にしてこられたお店様ですから・・・
僕もそれなりには気を付けて発言はしているんです(笑)

でも・・勢いあまっちゃうこともある・・(笑)

ただ・・
嘘をついても仕方のないことだし、
本当のことを知っていただきたいから
僕はそれでも淡々とお話を続けます。


そして最後に・・付け加えます。
僕のことは嫌いになってもいいから・・

お家に帰られて気持ちが落ち着いたときに、
もう一度どちらが真実を述べているか
よく考えてくださいと・・・

そして・・
2年後でも3年後でもいいですから・・・
もし・・・
あいつの言っていたこと、
やっぱりあってるよな・・・

そう思う時が来たら
また遊びにいらしてくださいと・・・





商売というのは
どうしても売る側の論理が働いてしまう。
そしてそれがお客様へ間違った情報を届けてしまうことがある。


でも・・
僕は事実を伝えたい。
真実を伝えたい。

単純なこと・・・
でも一番難しいこと・・




いっぱいいじわるされちゃったけど・・(笑)
それでもみなさんが支えてくれたおかげで
今では正しい世界を伝えられるようになってきました。


そして・・
あの時僕を嫌いになったお客様が、
いまでは本当に大切なお客様になってくれている。


本当に・・
ありがとうございます・・・・







伝世のジーには無数の傷がある。
苦しいほど愛おしいと思いませんか・・・・

この無数の傷はいつごろ、
どういう想いからつけられたものなんでしょう・・・


我々の時代とは全く違うはずです。
千年前のチベットを生きた石です。
想像を絶する過酷な時代を生きた人々の魂が
ここに刻まれているんです。



そう・・
重いんです。

ひどく重い・・・


でもね・・・
だからそれを背負うんです。

その重さを背負うから
涙が出るんです。


軽ければね・・・
それだけのものしか返ってきません・・・


人生と同じでね・・・





ジーはね・・・

そういう石なんです。

 
 
■役目■
明らかに中央から手を入れているように感じます。


肌や触れた感覚は
この石の硬さをしっかり伝えてくれます。

目立ったクラックは微塵も感じられません。



自らの手でこの石に手をかける・・・

もう一方はどこを今旅しているのでしょう・・・・








今日は間違いなく国内では当店しかお話できない視点を書いてみたいと思います。

そしてなぜ、
アンティークビーズの延長線上でジーを見るだけでは
永遠にジーは理解できないといつも言っているのかを少し感じて頂ければと思います。






パドマサンバヴァは一般の密教徒に向け、
テルプムの作り方を授けたという伝説のお話があります。

テルプムとは日本では宝瓶をさします。


この宝瓶にはチベットでは2種類ありまして、
地の瓶と富の瓶があります。


それではそれぞれの役目を見てみます。

ちょっとマニアック過ぎるかな・・・(笑)
みなさんが嫌気がささないようにものすご〜くざっくりかきますので・・(笑)





地の瓶。

これは中にお宝を入れて祈祷したあとに地中に埋めたりします。
といっても実際は埋めなかったりすることが多かったようなんですが、
まぁ・・そういうイメージをもってください。

埋めたところから周囲に向かって広範囲に力が及びます。
土地やその周辺のお坊さん、守護尊、ダーキニー、ナーガなんかも元気になっちゃうんですね。

そして・・開封なんてのは絶対ダメなんです。



富の瓶。

これはご自宅なんかに置いたりするんですが、
置くと幸せがやってきちゃうわけです。




で・・・
気になるのが・・・その中に何を入れていたんでしょう・・・
ってところですね。


水晶やトルコ石、マントラやお薬、宝玉・・・



ジーが好きな方。

妄想してください・・(笑)






通常、
こうした傷みを伴ったジーは大きく値を下げます。

しかし、仏教や民族文化という視点に目を向ければ
この石の見方は簡単ではなくなります。


もしかしたら・・・
自ら大きな犠牲を払うことで、
徳を積んできたのではないかと・・・・


まっさらなきれいなジーより・・
ずっと意味があるのかもしれないと・・・・




骨董というのはその姿形だけではなく
背景に値が付きます。

そして背景を感じてこそ、
本質もまた見えてくるのではないかと思います。



この文様がどうだとか
色がどうだとかそういうこともそれは大事。

けれども文化に触れる我々伝える側の人間は
それだけではあまりにも貧弱で奥行きがない。


千年の歴史を耐え生きてきたことの意味と意義を
もういちどしっかり考えてみることが何より大切なのだと思います。
 
 
 
■材から知るその本質■
先日、お電話で樹脂でできたジーについてお問い合わせがありました。

最近あちらでやたらと出回り始めたコピーです。

瑪瑙ならまだしも樹脂となりますと、
もうほとんどおもちゃの世界と言わざるを得ませんが、

現地でどのようにして売られているのかはよく知っておりますので、
なんともチベット好きな方を喜ばせるセリフがひらひらとついていますが、
だましているほうも、
だまされているほうも
本質を全く理解していないから
その話に違和感が生じないんです。


二千年前、
人々はなぜ瑪瑙を材としてジーを描いたのか。
木や骨ではなくなぜ瑪瑙としたのか。

そのことを理解していないから
樹脂なんていう最もイージーな材が出てきてしまう。

樹脂ほど加工がしやすく文様を描くのに楽な素材はありません。

チベットの寺院の参道にはこの樹脂製のジー、珊瑚、トルコ石、琥珀が
茶色の袋に目いっぱい入って山積みにされています。



100円ショップに行ってみればわかると思いますが、
樹脂製のものがあふれていますよね・・・

なぜだと思いますか?



天然合成と差異はありますが、
そもそもコピーする側にそんなところを本気で意識する人はいないでしょう。
はっきりいってどっちでも同じ。
そもそもそういう問題ではありません。


昨年も自身がつけている樹脂製の9アイが27本連なったネックレスを
全部で5千円くらいで売りたいっていうチベット人がいましたが、
せいぜいここ20年くらいのおもちゃを平気で100年前からのものだと言ってきたりする。
仮に100年前でもコピーはコピーですけどね・・


そもそも100年、樹脂製のジーをチベット人が瑪瑙のジーと同じように着けたらどうなるか・・
そのぐらいわかりますよね・・
チベット人の生活様式を理解すれば想像がつくはずです。


材が近いアンティークの琥珀の歴史をよく勉強してくださいね・・・



樹脂性の技術が向上したのはおそらくジーが大きな値段をつけはじめたあたり。

3割4割とその姿を失ったジーを基の姿に戻し数倍から数十倍にして売りつける為、
補填する材として脚光を浴びたのがこの樹脂です。
当店の見極めのページにも写真を載せていますが、
肉眼で判別できないレベルのリペアはほぼ樹脂によるものです。






都内の骨董市なんかには数百円のコピーが数万、数十万であふれまくっていますが・・(笑)
こういうがらくたをつかまされる方に共通しているのは、
ご自身の思考が定まっていないところにあります。


せっかくがんばって貯めた大切なお金です。
ご購入される前は、
本質とは一体何か、
そのことをもう一度よく考えてみてくださいね。




本物のジーは楽に手に入りません。
だからこそ、
そこに意味があり意義があるんです。


無断転載はご遠慮ください。



当店所有のジービーズはこちらでご覧いただけます。

ancient dzi beads-1
ancient dzi beads-2
ancient dzi beads-3
ancient dzi beads-4



考古民族学的視点でジーへのアプローチを試みる

〜ジービーズを探る〜



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