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Talking to my self


古代ビーズ

ジーの効能!?

ジーを迎えることで良かったなぁ・・と思う事。


感じ方楽しみ方は人それぞれ一様ではないと思います。
ジーには様々な文様や表情が存在しますから、
その一つ一つの特徴を興じ集めていく方もおられるでしょうし、
純粋な護符としてひたすらそれを握り続けるかたもおられると思います。

いつもお話しておりますように
「筋」さえご本人が理解をできていれば、
その先はどう向き合っていくかはお一人お一人がお考えになればいいのかなと思いますが、
僕があまりよくないなぁ・・と思うのは
将来の値上がりを期待して転売目的で買う方や、
チベットのことなど別にどうでもいいけど、
なんだかすごくレアだから欲しいみたいな場合です。
そうなってしまうとやっぱりジーを守ってきた人たちを知っている僕からすると
ちょっと残念な気持ちにはなります。


お話を戻しますが、
僕が迎えて一番よかったなぁ・・と思うことのひとつは
ジーは毎日そばにいるので、
どんな時でも・・
例えば海外でも、
仕事中でも、
運転中でも、
ジーに触れていることで修正させられる感覚になるということです。

お寺に行って仏様に手をあわせる時、
なんとなく気持ちが静かになってクリアーになるってことありますよね。
あれはリセットさせられていると僕は思っているんですね。
つまり、日々の様々な出来事を一旦リセットしてきれいにしてくれる・・
そしてそこで気持ちを改め、
もしくは修正しまた次に向かっていける・・・

けれどもご自宅に仮に祭壇がおありの方であっても、
お仕事中やご旅行中、
その何かが起こってしまっている最中は
いつもの仏様がそこにおられるわけではないですから、
やっぱり少し気持ちに迷いや油断が生じてしまう。
そんな時、ジーはいつもそばにいてくれるので、
例えば僕なんかは人間ができていませんので、
しょっちゅう色々アホなことをやらかしたり考えたりするわけですが、
その都度その場で、
「あぁ・・そうだった・・ これは違うよね・・」ってジーがなんとなく修正をしてくれる気がするんですね。

そしてその回数が多ければ多いほど、
段々こんな面倒くさい僕でも人並に近づいていくことができるようになる。


全然なってないですけど・・・
って思切りつっこまれそうですが・・・(笑)
それでもやっとここまでこれたのはジーのおかげなんです。


僕は今まで千本以上のジーを当店でご紹介してきましたし、
若い頃に揃えたジーをはじめとするチベットの古いビーズのネックレスを
10本以上プライベートで持っていますので、
多くの古美術ファンのみなさんと同じようにその一つ一つの表情や歴史に喜びを見つけていくという
別の側面ももちろん誰よりも知っているつもりですが、
ジーの場合はそれプラスそうした心に語りかける要素が非常に強いなぁ・・
というのが20年以上関わってきた人間としていつもつくづく感じるところです。



ね・・
いいでしょう。
ジービーズって。

その姿から想いをよせる・・

「傷みに耐えてよくがんばった」
って昔どっかで聞いたことがありますが・・・(笑)

このジーもほんとうによくここまで耐えて来たなぁ・・
と思います。
千年以上前の姿は6割しか残しておりません。
どういう過去があったのか・・
それは現在の科学や視点では断定はできず、
想像の域をでません。



しかし、
この石が何もなくただこの形になったとは到底思えません。
そこには千年という気の遠くなる歴史の中で、
色々なことがあったと推測するのが普通です。
ただ、折れちゃいました・・
なんて考えてるのは何にも知りませんって言ってるのと同じ。

こうなる大きな要因の一つとして、
先日少しお話した儀礼というものがあると思いますが、
それはメルマガで少しまたお話したいと思います。
通常、どこの店もこういう心に問いかけるような視点を
お客様に提示はしません。
それには2つ理由があります。
一つは仏の世界で生きたことの意味、少数民族の文化民族形態の様、それを理解していないから。
二つ目はそもそもそういうのは興味もないし、商売だからね・・ということ。
まぁ・・世の中そんなものと言ってしまえばそれまでなんですが・・(笑)
そんなもので終わらせるのか、
それとも終わらせないのか、
ここはね・・
人生の分かれ道だよね・・・
僕の人生には答えはひとつしかないんです・・・
馬鹿だから・・・
お前は面倒くさいんだよ・・
お前につきあわされるほうは大変なんだよ!
品物だけだまって売っとけ!
っていう方もおられると思いますが・・(笑)

そういう方には僕は100倍にして反論します♪(笑)
なぜなら、僕の知るチベットの方はそここそを大切にしているから。
そういう人は同じことを僕の仲間のチベット人に向かって言ったらいい。
出来ないと思うけどね・・・
仏の世界を信じ、
そこに命を懸け生きている人に
そんな軽々しいことなんか言えないよ・・・
それは・・
イチロー選手に野球道なんていいから
そのバットがほしいって言ってるようなもの。
心を込めて作ってくれたお料理屋さんに
別にお前の想いなんかどうでもいいんだよ。
くわせりゃいいんだよって言ってるようなもの。
わかりますか??
そんな失礼なことあってはならないし、
できないでしょ。

人はね・・・
心で感じる生き物なんです。
脳だけでドライに決断しているのとは違う。
千年を仏の世界で生きたことの意味。
これがジーのキーワードのひとつ。
ここが抜け落ちているとすべてが理解不能になるんです。

ジーの親戚!?・・・

今日はタイ族についてお話をしようかと思いましたが
こっちのほうがご興味ある方が多いと思いましたので
休業前というとことでちょっと別のお話。
 
 
バベルの塔との関連もうわさされる巨大な塔。
イラクイランに点在する中、
3千年前の巨大ジッグラトで有名なイラン南西部の町、
チョガーザンピールで実は面白いものが出土しています。
 
 
長さ30cmはあろうかという管状ガラス玉。
このとんぼ玉は棒抜き成形法による中空ガラスで
螺旋状に白色のラインが引かれています。
 
実はその一部が岡山のオリエント美術館に保管されています。
現在見れるかはわかりませんが・・・
気になる方は調べてから行ってみてください。
 
岡山のものは174mmを残すのみとなっていますが、
その風貌がまるで初期を思わせるジービーズ。
 
 
 
この白色のライン、
エッチドカーネリアンなどで使われたと言われるナトロンか植物灰と言われ
まだ判明していませんが、
みなさん見覚えのあるあの白色に非常に類似でしています。
 
 
出土品の面白さというのはこうした時代判別と背景がしっかり見えてくるところです。
美濃焼などに代表される日本の焼き物の歴史もこうした発掘調査によって新しい事実が
次々と発見されることも多く、
このような作業の積み重ねがとても重要です。
 
 
 
さて、みなさん、このガラス棒、いったいどこから出てきたと思いますか??
 
ものすごく興味深いですよね・・・
 
 
 
これ実は木製の扉に装飾されていたものだったらしいんです・・・
らしい・・とうのは発掘した人のお話ということなので・・・
こういうところがむこうっぽいですが・・・
まぁ・・信じましょう(笑)
 
 
チョガーザンピエールはエラム中王国の王様のウンタシュナピュラによる巨大な神殿です。
数あるジッグラトの中でも極めて巨大な神殿で世界遺産にもなっています。
そこに使われていたわけですから、
そのへんのおっさんがもってたものとは意味が異なります。
 
 
さて、その構造を見てみましょう。
通常はストゥーパのように何層かになっている多層建造物で、
日干し煉瓦を積み上げてピラミッドみたいに高くしていったのがジッグラトです。
頂には月神様ナンナルを祈るさらなる神殿を設けることもあったりします。
 
当然、近所のお兄ちゃんたちが酔ったいきおいで登れちゃうようなそんな軽いものではなかったはず。
そして万が一にも入れない様に、また威厳を保つためにも扉がいくつか設けられていたはずです。
さて、この扉というのがどこの扉かというところが気になるところですが、
考えられるのは頂上に至る通路にいくつかあったであろうゲートのひとつかも・・・
 
復元図をもとに考えてみると
頂の神殿に向けてか4面中央に大きなゲートがあります。
これ、普通に考えたら一番重要ですよね・・・
ただのまっさらな木製扉なんてさびしいことはするはずはありませんのでここの扉かな・・
なんて思いますがたぶん違うでしょうね・・・
 
経験上この扉が手つかずでのこっているというはちょっと考えづらいので、
おそらくギルシュマンの発掘調査ではわからなかったと言われる、
隠されたいくつかのお部屋のひとつというのが順当ではないかと・・・
 
その扉にこのガラスがいくつもはめ込まれていたのでしょう・・・
というのもこのガラス管は1個2個ではなかったというお話なんです。
つまり量産ができていたということですよね・・・
 
この大型ガラス管にこれほどの細工を複数です・・・・
 
 
 
ジービーズ完成までもうすぐそこまで来ている感じですね・・・

祈りと共にいきてきたからこそ・・・

ジービーズを単なるアンティークビーズの延長線上に観ている人はその本質に永遠に気付くことはないでしょう・・・
そんなの面倒とか言う方もおられると思いますが、
そうであればこうした特異な背景を持つ美術品に触れる意義はありません。
なぜなら、その視点がなければそれを守ってきた人々の気持ちは到底理解できず、
理解しようとする行為そのものがこうした美術品に「触れる」ということだからです。



「仏像にはそれが作られた時代や、その土地に生きた人々の祈りや願いが秘められている。
そうした心を撮ることが、仏像を撮るということだと後に気づいた・・・」
日本屈指の古美術写真家の小川光三さんの言葉です。


伝世のジーになぜこだわるのか・・・
まさにこの言葉にそのこたえがあると思っています。

僕は多いときで年間、50近くの寺社を訪れますが、
仏像の前にたたずむとき、
この仏様の前で今までどれほどの人々が祈ってきたのだろう・・・ 
といつも想像します。
眼を閉じ手を合わせるとき、
いままで同じように手を合わせてこられた無数の方々の思いが
かすかにゆらめく灯明の先から永遠と天空に伸びていくような感覚を覚えます。
その時の感覚が・・ジーに触れている時に似ている気がしています。
 
ジーもそう・・・
いままでこの石に祈りを込め受け継ぎ守ってきてくれた人たちの想いを抱き、
千年の時を超え、自身のそばにいてくれることに感謝の気持ちで満たされます。

ジーが他のアンティークビーズと決定的に違うところがそこなのだと思います。
ジーを身に着けるということは・・
誰にでもできることではなく・・・
そして・・・
とてもとてもありがたいこと・・・
 
かつてチベットの仲間が話してくれた言葉があります。
ジーは全てを超えたところにある存在・・・
 



ありがとう・・・

文様の意味

おそらく・・
このジーは当店でご紹介するのは最初で最後の文様になるでしょう・・・
 
この意味がどういうことなのか・・
お気づきの方は、
ジーを存分に楽しめている方ではないかと思います。
 
・・・???
と言う方も、ご安心ください。はじめは誰でもそうです。
長くお付き合いをさせていただければ、必ずそこに気づいていただけるような領域にまで、
お客様をお連れいたします。(笑)
 
 
 
 
もう少し色が濃ければなぁ・・・
 
そんな声も聞こえてきそうですが・・
 
 
 
ジービーズの本来のあり方を深く考えると、
こうした今現在の一般的な視点だけでこのジーを見ることには大きな違和感を感じます。
 
確かに現状は、色が濃く文様がはっきりしたものに値が大きく付きます。
しかし、かつて、千年以上前の古の時代、
ジーを求めていた人達はそれだけを望んでいたでしょうか・・?
 
当時であっても、
技術に違いはあれ、我々の脳の大きさにそれほど差がない以上、
ジーを作る職人も、文様を石に入れる前に、
未来の姿を想像できていなかったはずはありません。
 
この石も、おそらく、
こうなることがわかっていてこの文様を入れ淡いヴァジュラアイを完成させたに違いありません。
 
ではなぜそうしたのか・・・
この話は、長くなりますのでまた別の機会にしたいと思います。
 
 
 
成熟した焼き物の世界ではこうした当時の想いも斟酌し、
楽しむ文化が定着しています。
 
ところがことジーにいたっては、
まだまだ、その域には遠く及びません。
しかし、それではブランド品をよく理解もせず集める嗜好と大して違いはないような気もしてしまいます。
 
 
古を楽しむと言う事は、見た目からだけではなく、
かつての人々が抱いたであろう想いもあわせた楽しんでみることこそ重要かもしれませんね。

古代ビーズと水石(観賞石)

中国には古代より石の景色を鑑賞する文化があります。
日本では水石などとも呼ばれ、700年近い歴史があるとも言われます。
かつて中国南西部の水石を扱う市を訪れたことがありますが、
その価格には本当に驚かされます。
実はこうした嗜好は東洋に限った話ではなく、
世界中に見られますが、
東洋においてはそれを極限まで高めた世界観が存在し、
我々をさらに楽しませてくれます。
こうした鑑賞石には姿石のようにその形に美を見出す物もあれば、
肌に描かれる文様に美を求める物もあります。
そして、チベットにもその嗜好は当然存在しています。
ジービーズの善し悪しを生む、ドラゴンマークやウェザリングマーク、ブラッドスポットも、
その嗜好の延長線上にあるものです。
今回のルックミは一般的には「眼」にやや雲がかかるような印象をうけますが、
その雲さえも楽しむことができるならば、
このルックミもまたより愛おしい存在に見えてきます。
水石の世界には養石と言って、
しばし石肌を時間をかけ落ち着かせるといった文化があります。
こうした視点に立てば、
この石は千年以上の間、多くの人々に祈りの中で守られ養われ続けた、
究極まで肌を整わせた逸品ではないかと思います。
そして・・鑑賞だけではなく身に付けながら先人達の石を受け継ぎ守り育てていく
楽しみがあるのもジーやルックミの良さではないかと思います。

ジーの実情

こちらのジーはややぼやけた景色が見られますが
瑪瑙の景色とジーとの関係がわかる非常に状態の良い2アイです。
チベットの方から譲り受けました。
 
ご覧になりましてこの絵から何かお感じになることがあるでしょうか。
当店のお客様でジーをたくさんご覧いただいている方は
気づかれたかと思います。



ご覧いただき、おわかりいただけましたでしょうか。
写真の上のジーの記事は事実ではなく、
こちらは現地のある骨董店で売られていたものです。
仏像などを扱う専門店でした。
 
お気づきの方も多いと思いますが
こちらはコピー品で台湾で作られ、
チベットに輸出されたものです。
 
こうしたものがアンティーク市場に、
もしくはチベット人のアンティークディーラーなどに静かに流れていきます。
 
当のチベット人も気づかず着けられている方がかなりいらっしゃいますので
話はより難しくなりますが
これが現実でもあります。
 
この流れはすでに何十年も前からのものですので
伝世してきた本物のジーをお探しの方は
こうしたコピー品もたくさん見ておくとよいと思います。

ジーのすばらしさは
古来より何代も何代も大事に大事に守られ受け継がれてきたからこそ
語れるものだと思っております。
 
 
 
見た目の文様にとらわれることなく、
密教が伝わる前から守られてきた文化とその歩んできた歴史を感じることが
大事なのかもしれません。

本物はどこ・・?

本物のジーを身につけているチベット人に会うのは難しく、
そういう人はやはりそれなりのところにおられる方か
それなりの人物という感じになりつつあります。
 
一見、珊瑚も琥珀も本物らしく・・
その人が持つジーも本物かも・・
なんて思ってしまう方も多いようですが
そんな世界では残念ながらなくなってしまいました。
 
ラサなどでコルラしているチベット人達の逆方向を向いて
じ~っと彼らの装飾品などを何時間も見ているのが好きな僕ですが
そうして見ていても本物のジーを身につけているチベット人はまずいません。
 
また、チベット人もはたして自分の着けている物がいったい何なのかをわかっている人は
ほとんどいらっしゃらいのが現実で
チベット人でその世界に関わっているプロのような方であっても、
本物を見極められる人は5%もおられないと思われます。
 
さて、今回中国のある地方都市でおもしろい記事を載せた雑誌をみつけました。
そこにはチベットの写真が掲載されていて
断定はできませんが
かなり本物の臭いがするジーをみにつけているおばあちゃんの写真がありました。
現地の方がどのようにジーを身につけているのか・・
とても良い絵になりますので
実店舗にお越しの際は
是非お声をかけてみてください。

出かけるときは忘れずに・・・

皆さんがお出かけになられる時一番気にする事はなんでしょうか?
 
僕は・・・
まずジーのネックレスです・・。
これをしていないとたぶん出かけられません。
 
忘れることはありませんが
忘れたら取りに帰ります・・
飛行機に乗り遅れてでも・・・
 
 
人には「ゲンを担ぐ」ということがよくあるとは思います。
例えばイチロー選手もベンチを出るときの足を気にされているように。
 
僕の場合はジーのネックレスがそれにあたります。
個人的な思いこみなのでそれでどうとかこうとか
よくあるようなことを言うつもりはありません。
 
ただ、こういう仕事なのでいつ何が起こるかわからないというのも事実でして・・
 
かつて泊っていた宿に半年ぶりに訪れたらテロで吹き飛んでしまっていた・・
なんていう笑えないこともありましたので・・
 
 
 
 
僕は何かある度にネックレスのジーを擦ります。
このことで妙な安心感が生まれてくるので
今ではくせにようになっています。
 
特に苦手な飛行機に乗る前は
この行為はかかせません。
 
 
僕のチベットの多くの仲間達もよくジーを触ります。
きっとそうして何世代にも渡って大事にされてきたジー。
そんな時を刻んできたジーだから
いまここにある奇跡を大事にしたいと思います。

ジービーズの意味

文様のきれいに入ったジーが評価が高く当然高額になる。
これは、一般的なマーケットでの考え方。
 
しかし、それだけで古物を見るのはとてもつまらない。
皆1つ1つ歴史があり、
その歩んできた歴史をも含めて愛してあげることが古物を楽しむことの魅力だと思う。
特にジーについてはそういう見た目だけで判断するのはとってももったいない。
 
 
 
このアンティークチョンジーには2箇所、水晶が内包されています。
瑪瑙と水晶はとても近い鉱物ですし、
よくある現象ですので
このジーにいたってもたまたまと見るのが普通かとは思いますが、
古代ビーズ、特にジーに限っては僕はそうではないと考えています。
 
古代のジーの文様に関する技法は未解明なことが多く推測の域を脱しませんが
現在、チベット人を無視し天珠などと言う名でコピーが大量に出回っていますのでその技術を過去になぞらえて考えることで
ある程度のことが分かってくると思われます。
 
 
さて、この内包物に関してですが、
世界の古代史や日本の縄文時代などについて書かれる様々な書籍、
そして今に残る当時の品々を頼りに
長い間、数千というジーを見てきて思うことは
ある特徴的ないくつかの共通点とそれによって描かれる当時の石にかける思いが
なんとなく見えてくるような気がすることです。
もちろん考古学研究の専門家ではありませんので骨董屋のカンみたいな世界ではありますが
おそらくかなりの確立でこの説が有力だと思っています。
 
この話、実物をお見せしながらでないと説得力がありませんので
気になる方は是非実店舗までお越しください。

出土品と伝世品

ジーでも瑪瑙でも、当店は伝世にこだわっていますので出土品を扱う数は少ないのですが、
世界で出回る古代ビーズのそのほぼすべてが地下から出土したものです。
こうした古代縞瑪瑙(バイシャジャグル/老薬師珠)も例外ではなく
世に見られるもののほとんどがそちらからのものと言って間違いありません。
 
アンティークの世界で人から人へ受け継がれているものは実はほとんどありません。
あってもそれはここ2,3百年程度の話。
ですから千年を超えた伝世品が存在するというのは
自然環境や人生観など独特の文化を遂げたチベットだからこそと思われます。
 
長い間、多くのチベットの仲間とかかわっているとよくわかるのが
チベット人の石への思い。
それは他地域とは異なり少し特別。
 
 
この古代縞瑪瑙(バイシャジャグル/老薬師珠)はそういう意味では非常に貴重で、
しかもついこの間までチベット人が身に着けていたという非常に
チベットを愛する人にはたまらない石。
 
この石をなでていると
遠く美しいチベットの大地を思い出します。
 
みんな元気かな・・・