少数民族の多くは大きな民族から常にプレッシャーを受け
土地を奪われ、過酷な地へ定住先を求め移り住むという歴史を繰り返してきました。
そんな絶望と苦悩の中でも民族の存亡を懸け、文化を守り誇りをもって生きてきました。
当店で扱う品の多くはこうした人々によって守られてきたもの。
彼らの生みだす品々に魅了された人々は
その文化の源泉を理解しそうした歴史の中にあったからこそ放たれる真の美を知ったからこそだと思います。
見た目に終始し、これが貴重だとかこれが高価だとか
そうしたよくいるにわかアンティークコレクターには少数民族の品の本当の美しさは伝わらない。
当店では彼らの歴史と思いも込めてお客さまには伝えていきたい。
そんなことは面倒くさいと思う方は当店での購入は無理だし、
その程度のことさえ許容できない人は
我々と真反対の価値観の中で生き、育ち、守られてきた彼らのものを理解することは永遠にできない。
ワ族と聞くとケシの栽培、そしてアヘン・・というイメージを思い浮かべる方も多いかもしれません。
この地域はかつて世界的アヘンの製造元として有名だった地として
あまり良いイメージをお持ちにならない方も多いようです。
しかしそのアヘンの供給先は欧米であったこと、
そして・・まるで現在のアフガンのように・・
そもそもは列強のご都合によってケシ栽培が加速したことも忘れてはいけないことだと思います。
さて、少数民族のカルチャーからの視点でいうと
この地域もまた、非常に魅力あふれる地で
かつては門前に人頭がずらっと並んでいた村もあったというくらい
興味深い文化を持っていた民です。
現在はこうした風景は見られなくなったようですが
人頭の代わりに水牛の頭などが飾られている風景は見ることができます。
今回知り合ったミャオ族の家族。
帰国してからも連絡を取り合っている。
こうして離れていても世界中の色々な人達とつながっているなんて。
すごい時代だなぁ・・
仲良くなったミャオ族の方から刺繍の講義を受けてきました・・
という話をずいぶん前にしましたが、
今日はその続き。
針と糸を通しやすくするためだと思うが
木の実に一度通してから縫い始める。
あの実の名前を聞き忘れたので今度聞いてみようかと思うが
白くて石鹸のような実。
何粒かくれたのでたまに見るのだが今は結構堅い。
少しゆでた状態で使っていた気がする。
刺繍にもよるが動物や草花などモチーフとなる型紙があることもある。
昔はこうした型紙もなかったという説もあるようだが
他の古物を見ていると共通のテーマによくぶつかるので調べたりすることもあるが
人間の脳に今と大きな違いが見られない以上、
山奥の小規模な村などをのぞいて
かなり前からそうしたものは当然あったと考えるのが普通だろう。
事実、かなり以前の型紙を入れる紙と布でできた財布のような入れ物が存在している。
そしてこれは現在でも使われている。
この型紙入れはとてもユニークで素敵。
実は店にも1個あるんですが・・・
今回知り合ったミャオ族の方の自宅に招かれ
刺繍の講義を受けることになった。
彼女の住んでいるところは
普通のコンクリートの建物で
良く見る高床式のミャオ族の家ではありませんでした。
でもそれがなんとなく飾り気がなくてかえってよかった。
まずは糸を作ります。
絹糸の束から数本を選びそれをよって針に通します。
通らない・・・
針がものすごく細い。
穴もやたらと小さい。
一応服飾の学校も出ているのでそんなに苦手ではないのですが
ちょっとこの時点でアウトかも・・・
ということでミャオの女性が実演。
30cmほど刺繍し終わった生地をもってきて
続きをします。
この30cmの刺繍、幅もそのくらいなのですが
なんとここまでで2年かかったそうで・・
もちろん技法や図柄により異なるとは思いますが
今まで見てきたものとは時間のかけ方が違いました。
だから、すごく上手です。