子供たちにお話ししたいことがあります。
匿名でしか言えないことは
君の本心では本当はありません。
世の大人たちは
匿名の方が本音が言えると思っている人たちがかなり多くいますが
それは全く違います。
本心というのは
その人の弱さも
ずるさも
身勝手さも
奔放さも
すべてを含め表現されていくもので
例えば
実名では言えません
住所を連絡先を伝えたらもっと言えません
職業を伝えるなんてありえません・・・
こんなものは本心でもなんでもなく
そういう人は
本当の自分をおそらくとことんみつめたことはなく
自身の本当をおそらく自身も見たことがない可能性が高く
土壇場でひっくり返す可能性も極めて高くなります。
もちろん・・
匿名は弱者の主張を保護するという意味や
社会に一定の健全性を担保させることへの意味はあるのかもしれません。
けれども個人的な視点で見れば
匿名はほとんどその人の言葉ではなく
その人が何となくそう思っている程度であって
仮に何かの場面で決断しなければならなくなった時、
先の意見の通り実行するものではおそらくありません。
本心というのは本来、
覚悟が伴うものであるからこそ
実現性が生じ
より有効になっていくわけで
そうではないものは
結局のところ
ほとんど影響しない、
もしくは非常に一方向に振れやすい状況をつくってしまうだけで
小さな力による社会への大きな影響を・・ということにはほぼなりません。
そしてそれがこの今の日本をつくっているんですね・・
だからこんなつまんない感じになっています。(笑)
何をやってもなんとも手ごたえのないこのどんよりした空気感です。
若いみなさんには
きっと学校で外で
このどんより感満載のシャワーをたくさんあびてしまっていると思います。
そしてそのままを続けて行けば
おそらくみなさんのあこがれない大人になっていってしまい
そしてそれがまたその子供たちへと影響を与えてしまいます。
どうか
言葉を大事にしてみてください。
匿名ではなく自身の言葉として発言していくことを大切にしてみて下さい。
責任を負う事で
言葉が洗練され
責任を負う事で
言葉に熱が込められていきます
その繰り返しが
きっと将来の自分をつくっていきます。
そしてそれは必ずみなさんの役に立っていくはずです。
怖いと思います・・
これをするのは
この国ではタブーみたいなところがありますから・・・
でも・・
勇気を出して
続けてみてください。
そして・・
君たちが大人になったとき、
今度は君たちが子供たちに
その勇気を与えてください。
この循環が
社会を正しい方向に導いていくと僕は信じています。
毎日を繰り返す方が
安心感はあります。
けれども毎日が違う方が
どうも時間の流れ方が全然違い
たとえば3日間、
家にいるのと
3日間旅をしているのでは
体感として普段の2~3倍の時間を費やした感じがいつもします。
旅を終え家に帰りほっとするのは
やはり倍のエネルギーを使ってきたからなのかもしれませんが
振り返ると
その疲れを上回る様々な想い出がいつまでも心に残り
それはその後の人生にも少なからず影響を与えている気がします。
車を走らせていると
たまに自転車で旅を続けている人を横に見ることがあります。
想いはそれぞれかもしれませんが
そうした人の姿を見ると
いつもその人の過去と未来を想像します。
そしてきっとこの瞬間は
その人にとって本当にかけがえのない想い出になると・・
そんな大切な一部をわずかでも共有できた気がして
少し夢をもらえたような気分にもなります。
あの時にしかできなかった事は
その時にはわからず
過ぎていく中に知ることになります。
もちろん
それが一方で心を育ててもいくのでしょうが
でも・・
できることなら・・
その時その時の心に
もう少し忠実であればよかったのにと・・
そう振り返らないでいられたら・・とも思います。
夏の終わりは
いつもそんなことを感じさせてくれます
会議は好きなのに
議論はできない
特にこの国に多く見られると言われるこの現象は
個人にあてはめてみることで
改善策がみつかるのかもしれません
ちょっと自身にとって気に入らないことを言われたり
不都合なことをされたりすると
音信不通になったり
急に淡白になったりする人は非常に多いです。
僕は仮にそういうことがあったとしても
こちらから関係を絶つことは決してしません。
されることはあってもね(笑)
なぜかといえば、
仮にもしこれが外交交渉の場であった場合、
国対国の関係ですね、
その場合、
もしそんなことをいちいちしていたら
国際秩序は成り立ちませんし
独裁国家みたいに自分の意見を通すために平気で他国に侵攻することになります。
そんなことを許すことは
まともな社会にいる人ならほとんどNOと言うはずであるにもかかわらず
個人となったとき、
ほぼそれと同一線上のことをやってしまうわけです。
僕の中で
それは非常に矛盾しているし
個人においてさえ、、、
自身にとって
都合が悪かったり
思い通りにならなかったり
気にくわなかったりする程度のことで
歩み寄りや相互理解が深められないようでは
到底、文化や思想の大きく異なる民族間同士の平和構築はできないというのが
僕の基本的な考え方です。
ですから僕は自ら関係を切ることは基本的にはしません。
そういう人は普段は平和平和といいながら
実は土壇場で
戦争を仕掛ける可能性がある、
もしくはそうした物理的な力の行使を用いる権力に対して
手の平を返す可能性を自身に秘めているということを
客観的に見つめた方がいいかもしれません。
何度でも言いますが
僕は力で自由と平和を脅かす行為は断じて容認できません。
だから実名の人に対して
匿名でのアクションは決して起こさないし、
意見が大きくぶつかっても
議論が終われば握手をします。
その逆は僕からすれば
力を使ってねじ伏せる行為の延長線上にしか見えないからです。
思ったことを実名で発言できる環境をつくる
そしてそうした意見を許容する社会をつくる
僕はそうした個人レベルの考え方の集まりがあってこそ
はじめて世界は平和に向かって行けるのだと思っています。
これはゆるさない、
あれはだめ
ということを自身の中に設ければ設けるほど
社会はよりルール化されつまらなくなり
ぎすぎすしていきます。
そして、それが頂点に達した時、
暴力で物事を解決するという
最も愚かな行為に向かいます。
そうならない社会であるためには・・・
まず個人が自身の中にある
矛盾を見つめていくことが大切だといつも思います。
みなんさは今、何時でしょう・・・??
おもしろい記事がありましたのでちょっと参考にしながら書いてみたいと思います。
厚労省のデータをもとに見てみると、
男性で71.29歳。
女性で74.21歳。
計算がしやすいのでざっくり72歳くらいにしておきましょうか。
72歳。
これは日本人の健康寿命の平均値です。
それでは72歳を24時間で割ってみると・・
1時間当たり3年ですね。
27歳だと午前9時。
36歳でちょうどお昼。
45歳は午後3時。
60歳で夜の8時です。
27歳の人はこれからお勤めの時間です。
もう夜になるまでお休みはほとんどありません。
36歳の人は1日の半分が過ぎてしまいました。
これから少しずつ陽は傾いていきます。
45歳の人はあと3時間程度で夜になってしまいます。
明るいうちにやりたいことができているでしょうか・・・
60歳はもうすっかり夜になっています。
こうして時間をあてて観ることで、
それぞれの方の現在の立ち位置が客観的に見えて来ます。
意外と人生は短く、
そして意外と明るい時間、
つまり体力的にも充実している時間が貴重だという事が
こうして観ることでわかってきます。
焦る必要はありません。
しかし、今と言う時間は決して返ってこない時間だと
認識しながら生きていくことは大事なのかもしれません。
やりたいことがわかっているのに、
安定との天秤を測りにかけすぎて
タイミングを失ってしまったり、
計算をしすぎて
せっかく日の当たっている間なのに
お部屋の中にいたり・・・
どうでしょうか・・
心当たりありませんか・・
もちろん。
違う見方もできます。
9時からお仕事がはじまったって、
気持ち次第では長い休暇もとれるかもしれません。
夜だからといって
電気を着ければ昼間と同じ活動はできます。
ただ、
大事なことは
周りがそうだからといって
あなたまでそうする必要が本当にあるのかということを考えてみること。
物や事の良し悪しを
社会の物差しではなく、
自身の物差しを使って測ってみること。
そう。
簡単に言ったら・・
あまりとらわれないこと。
演じるのではなく
あなたを生きること。
どうですか~
少しでもできていますか~
最後に少し夢のあるお話をひとつ加えておきます。
実はこの厚労省のデータは過去データもありまして、
先のものはH25年のものですが、
H22年では男性は70.42、女性は73.62と3年でかなり伸びているんですね。
これは情報の拡散スピードが増したこと、
また、医療の進歩など様々な要因があげられると思いますが、
仮にこの曲線をこの先もしばらく描いていくとすれば
今の時間が少し変わってきます。
また、度々ここでも書いてきましたが、
医療分野における技術革新が指数関数的スピードで進んでいること。
例えば近赤外線治療の登場、
現在臨床中のNMNはもしかしたらあと2年程度で市場にお目見えするかもしれませんし、
ミューズ細胞による各種疾患の正常化、
中分子医薬の登場によるまったく新しい治療法の確立、
そして究極的にはDDSによって病院に永遠に行かず、
さらに細胞修復も自動に行われてしまう・・・
こういう新しい技術開発も現在進行中ですので、
時間が少しずつ変わっていく可能性は十分考えられますが、
今の時間を大事にそして大胆に
思う存分生きていけたらいいですね♪
勇猛精進。
僕の好きな言葉です。
今日は成人の日なんですね。
それでは・・
若い人へ・・・
たぶん・・
こんなサイトを見ている人は相当の変わり者・・・
じゃなかった・・個性的な人だと思います。
人が集まれば必ず常識が生まれます。
世の中はその常識に包まれ、
人はそれにあわせていくことこそ正義と教えられ、
それにあわせていくことが大人になることだと教わります。
そしていつしかそれにあわせている自分がいる。
何の疑いもなくね・・・
でも・・・ もともとここを見てる人たちはずれちゃってるんだから・・(笑)
じゃなかった・・・ 個性的なんだから・・・
時間がたてばたつほど無理していることに苦しくなっちゃう。
とくに子供たちは学校といういかにも画一的な社会でずっと生きてきたわけで、
もう自分は社会に適応できない・・・ なんて思ってしまいがち・・
でもね・・
大丈夫だよ。
これからは君たちの自由にしたらいいよ。
もちろん人様に迷惑はかけちゃいけないけど、
絵が好きだったらそれを続ければいいし、
歌が好きだったら思う存分やったらいい。
男装女装がしたかったらすればいいし、
お金がたくさん欲しいんだったらそれにひたすら向かうのもいいと思うよ。
そう・・・ でも好きなことでご飯は食べれないよね・・・
そこなんだよね・・・
だから今日は個性的な君たちへ伝えたいことがある。
その個性、
学校じゃ、たぶんいじめられたりおかしな風に思われたり、
友達がなかなかできなかったりしたと思う。
つらかったね・・・
でもね・・
よ~く考えてみて。
そのいじめていた側の人達。
実に常識的な普通の人達だと思わない?
そういうのはね この世の中にはいやっていうほどいるの。
だから競争力はないわけ・・・
ライバルが多すぎちゃってそこから抜け出すのはとっても大変なんだよ。
でも君たちは違う。
もう、最初っから個性満点だからそもそもライバルが少ない。
競争力で言ったら、それはピカイチなわけ。
これからの時代はね・・・
残念ながら「常識」の部分はテクノロジーが代替していく時代になる。
ボリュームが大きければ大きいほど技術を突っ込むメリットが生じるからね。
自動車や語学の世界なんか典型だと思うけど
多くの人がこうなったらいいなと思うことはそうなるわけ。
だから「資格」のある世界とかも数十年先は危ないかもしれない。
現に米国では超腕のある弁護士以外はAIにとって代わり始めてる。
「規格」を求められるということはそれだけ広がりが大きいということだからね。
AIが追い付いてくる。
間違いなくね。
でも・・
君たちの真似はなかなかできない。
だって個性的すぎちゃうから・・
そこに技術をつっこむメリットもノウハウもないわけ。
だから自信をもっていいよ。
そしてその個性を武器にしたらいい。
まわりがおかしなやつだと言ったら
心の中で・・
「ありがとう・・」ってささやいたらいいよ。
それは実は最高の褒め言葉だからね。
僕ら先を行くものは
若い君たちがいつか僕らを飛び越えて新しい世界をつくってくれればと願ってる。
その為に踏みつけられるんだったら喜んで踏まれちゃうよ(笑)
いつも応援してるからね・・
20歳。
おめでとう。
2016.1.10
戦わずして得られるものと
戦ってこそ得られるもの。
どちらが有効なのか
よく考えてみることが重要です。
これはある著名な方のお言葉です。
人はいつも主観的に物事を考えがちですが
客観的になることが時に重要だともとれますし、
大きなところでいえば過去への戒めと捉えることもできます。
戦わずして得られるもの・・
それは戦うことで相当の損失を被るということへの理解とも言えますし、
日々の安定や良好な関係を築くということもあるでしょう。
戦って得られるもの・・・
それは国家間同士の云々ということではなく、
現在の多くの日本人にとっては
個人レベルで自身への挑戦ということもあるかと思います。
当店にはなぜかよくわかりませんが、
人生相談みたいなお話になることがたまにございます。
起業してみたいとか、
絵師になりたいとか、
会社を辞めたいとか・・・(笑)
どうしたらいいんでしょう・・・?
みたいなお話です。
どうしたらいいのか・・・
それはつまりどうしたらうまくいくのか・・・
ということなんだと思いますが、
それがわかっちゃったら人生って相当おもしろくなくなっちゃいますし、
個々人によってその個性も能力も違うわけですから
やり方や達成感はそれこそ千差万別なんだと思います。
もちろん、
こうすれば・・・
と思うことはありますので僕のような人間ではたして参考になるかはわかりませんが・・(笑)
お話をさせていただくことはありますが
大事なのはそこよりも「いかに楽しめるか」というところなんだと思います。
何かに挑むと必ずその反対側にリスクが存在してきます。
受験勉強もまったくせず野球一筋に賭ける青年は
野球でご飯が食べれなくなった時へのリスクがあります。
けれども同じ野球部員が3年の夏を終えそれなりに進路を考え、
社会への適応を考え始める中、
ひとりそれでも情熱を燃やし野球1本に賭けるというのは、
大きなリスクを背負うと同時にライバルとの大きな差を生む行為にもつながるわけです。
動物というのは安定に向かうことを本能としますので、
その本能をいかに脳内で転換できる術を持つかというところ、
それをいかに早くに気づけるかというところがポイントな気がいたします。
今の若い世代はとても恵まれていますので
そういう意味ではこうした機会に恵まれるということがあまりないように感じます。
いまのままで十分餓死せず生きていけるわけですから、
無茶することへの意味というのは到底理解しがたいわけです。
けれども飛ぶことで、
空から眺めることで見えてくるものもあります。
そして飛んでこそ、
自信の持つ能力に気づかされることもあります。
夏休みなので・・
ここを見てくれている子供たちへ・・・
もし・・
迷ってたら・・・
好きなことに向かって、
信じている世界に向かって
飛んでみたらいいと思うよ・・・(飛び降りちゃだめだよ・・♪)
飛んでおっこちても今の社会はちゃんと下でマットくらいは敷いてあるからね。
骨折くらいはするかもしれないけど、
命を取ったりしないよ。
折っちゃったら今度は折らない落ち方をすればいい。
そしてその次は落ちない飛び方を覚えればいいよ。
まわりのことなんか気にしなくてもいいよ。
反対する人が増えれば増えるほど、
ばかにするやつがいればいるほど、
それほどそれをやる人が少ないって証だし、
競争相手も少ないって証拠でもあるからね。
君の人生は君のものだよ。
君の人生は君しか決定権がないんだよ。
いつだって君が主人公だからね。
「日本人はもう少しエンジョイした方がいいよ・・」
今朝見ていたTVで日本在住の外国人が言っていた言葉です。
生まれてすぐ外の景色すら見ることなく死んでいく赤ちゃんもいれば
100歳になってもゲートボールをしている元気なお年寄りもいる。
体に障害を持って生きている人もいれば
スポーツクラブに通い、ダイエットに励んでいるがちっとも変わらなくて悩んでいる人もいる。
美人に生まれ周りにちやほやされながらとんとん拍子に人生がうまくいってしまう人もいれば、
容姿に悩みふさぎがちになってしまう人もいる。
戦時下に生まれ明日を生きるのに必死な人もいれば
まだ20代だというの老後の為にショッピングもほどほどにコツコツ積立している人もいる。
一般的な見方をすれば・・
残念ながら人生は平等ではない。
人類はそのギャップを埋めるため、思考錯誤しながらここまできたけれど・・・
おそらく、このギャップは永遠に埋まらない・・・
「日本人は恵まれているんだから・・」
そんなことは多くの日本人はみんなわかっている。
でも、ついつい身近な存在をみつけ、
それと比べ、安心したり落ち込んだりする。
仏の精神に近づくことができるのであれば、
そうしたつまらない感覚から解放されるのだが・・
残念ながら・・
人間にはその境地にたどりつくには相当の覚悟と時間が必要らしい・・・
僕が一般的な日本人の同年代と
もし、一番違う所をあげるとしたら・・・
自分はとってもラッキーだなと思えているかどうかということだと思う。
それは好きな事が出来ているからということではなく、
もう少し根本的な事、
好きな事を見つけ挑戦できる環境にいるということ、
夢を見ることが許される環境にいるということ。
今の多くの日本人がどれだけ恵まれた環境にいるのかという感度の問題。
先ほど言ったようにみんなそんなことはわかっていても、
もし、この感度を指数化することができるのだとしたら・・
僕は平均よりも少し高いのではないかと自分では思う。
好きなものに囲まれ・・
しかも毎日ジー触ってるし・・・
もちろん僕よりもっと高い人もたくさんいるとも思うけれど・・・
エンジョイしようよ・・・
その言葉の裏には、この感度をもっと上げて行こうよ♪
という言葉がこめられている様な気がする・・・
誰だって不安や悩みはある。
でも、その悩みや不安はある一定の限られた環境の中でのみ生じることであって、
一歩その外に出ればそれが普通であったり、
たいして珍しい事でもなかったりする。
自身の脳を操作できるのは・・
今のところ・・自身でしかない。
であるならば・・この脳を少し楽な方に誘導させて、
もう少し人生を楽しんでしまうのもいいかもしれませんよね。
もし、なんとなく今・・
悩みや不安をかかえておられるのだとしたら・・
脳のスイッチを変えちゃいましょう♪
どうせなら・・
エンジョイしよう♪
こういうことを書くと商売的にはよろしくないというのが日本では良く言われますが・・・
外国とかかわってる仕事をしているので
ちょっと書いてみようかと・・・
連日中国人中国人・・ってTVでさかんに言ってますが・・
中国にはミャオ族もイ族もトン族もチワン族もウイグル族もモンゴル族も・・
他にもたくさんの民族がいます。
チベットやウイグルだけが注目されてますが他にもたくさんいます。
それをみんなまとめて中国人は・・みたいなのはそもそもどうかと思う。
一方ではチベットなどを尊重するような姿勢を見せるかと思えば
一方ではそういう人々を無視するような報道をする。
それに漢民族だって色々。
そもそもカメラむけられればあの国では本音が見えないことは普通に考えればわかると思うが・・・
日本だってカメラ向けて本音言う人少ないでしょ。
むしろ日本人の方がよっぽど本音を言わないけどね・・・
子は親の鏡。
政治は国民の鏡かと・・
今の外交上の問題は
世界中あらゆる分野で韓国や中国などにどんどんシェアが奪われてる現実によく似ている気がする。
誰かに何かを依存するのではなく、
日本人一人ひとりが真剣に世界でどう生きていくのかを考えることが必要じゃないかな・・
それしか答えはないような気もするが・・・
これが最後のチャンスかも・・・・・・
中国に行くと言うと母は気をつけてね・・
と言ってきた。
連日流れるニュースのせいだろう。
母は海外には行ったことがない。
一度は違う世界を見せてやりたいと何度か連れて行こうかと試みたが
身体に自身がないようで行けないと言ってくる。
ご近所の方も中国は今は大変そうだから気をつけて・・と言ってくれた。
毎度のことなのであまり気にもしていなかったが
周りは気にしてくれているようだった。
今回訪れた地域。都市部は漢民族も多く住むエリアがあった。
皆、僕が日本人だとわかっても親切にしてくれた。
町の食堂のおばちゃんも、銀行のスタッフも。
麺類を頼んでレンゲがほしくて中国語のわからない僕を助けてくれた女の子や
発音の違う僕の中国語を何度も丁寧に直してくれた町の人もいた。
もちろん、やな思いもしたことも何度かある。
小泉さんの頃はここにいたらいかんかなぁ・・
みたいな場面に遭遇したことが数回あったのも事実。
でもおおむねほとんどの漢民族の人はやさしく普通に接してくれる。
日本で中国の観光客を普通に日本人が接しているのと同じように。
ただ、そうした経験を両国のほとんどの人はできない。
過激なことを言う人ほど意外と相手を知らない・・のかもしれない。
相手の顔が頭に浮かべば感情も少しは変わるもの。
例えば自分の愛する人が中国人だったら絶対考え方は変わるでしょ。
外交交渉に直接かかわる政治家の姿勢と
一般人の意見は一緒でなくていい。
一緒ならそら大変だよね。
僕が一番問題だとと思うのはメディアの姿勢。
今回のことに限らず繰り返し一部の事象を流し続けたり
同じ論調になるくせがある。
特に地上波や大衆紙は。
面倒くさくないし広告も取りやすいからそうなるのはわかるが
常に反対の眼も伝える必要がジャーナリズムにはあるはず。
両面を知った上であとは個々人がそれぞれ判断すればいい。
中国は無理だけどね・・・・
ということで今日はちょっと堅いお話でしたが
僕が現地で感じた率直な思いでした。
帰国しました。
昨日は帰国後初日、悪天候にもかかわらず多くのお客様にご来店をいただき、
心より御礼申し上げます。
また、メールなども多数お送りくださいまして
本当にありがとうございました。
昨日、あらためて思ったのはお客様に恵まれたことが
ここまで運よくやってこれた当店の一番の理由だということです。
本当にありがとうございます。
ますますがんばらなくてはいけません!!
今回も色々な出会いがありました。
新たに違うミャオ族の方と仲良くなりまして
ご自宅で刺繍の手ほどきを受けてきました。
観光地化されたよくあるホームステイとは異なる
現実のミャオ族の生活も見せつけられた気もいたしましたが・・
さらにチベット族の住むエリアでは
多くのカムバの人達とも話してきました。
こちらもまた色々と新たな出会いと発見がありました。
中には非常に深い我々には到底理解できないお話も。
機会を見てお話できればと思います。
「アメリカンカルチャーは好きだけどアメリカンポリティクスは嫌い」
まさに彼らの心を代弁している一言だった気がした。
2001年、同時テロ直後の友人のパキスタン人の言葉。
なんとなく世界がすごくぎこちなく
特にムスリムの人々のストレスが町中に漂う。
テロ直後の町の雰囲気はそんな空気に包まれていた気がする。
日本は既に万歳をして何もかも受け入れた感じはするが
僕の訪れるアジアではこれからさらに多くの欧米文化が容赦なく入ってくることになるはず。
年配の方ほど抵抗は大きいよう。
若者から順に、
時には自ら望んで
その波にのまれていく。
映画や音楽、ファッション、食事など身近なところから徐々に欧米の価値観に染まっていく。
一度経験してしまえば・・
その新しい世界は忘れられず、
オセロのように次々と伝統文化がひっくりかえされ
あっというまに世界中が同じ色に染まる。
当然抵抗がある。
違和感もある。
でも受け入れなければやっていけない状況がそこまでせまっていることも知っている。
そんな彼らにストレスがないはずがない。
彼らはずっとそうして・・
下手をすると大航海時代から
そのストレスをためこんできたのかもしれない。
テロを肯定するつもりは毛頭ない。
あれは問題外。
強いものほど弱い者の気持ちを敏感に察することが大事。
多数組は常に少数組の意を組み取る寛容さが大事。
世の中そんなにうまくはいかないけれど・・
誰かがどこかで変化しなければ
この状況は永遠に変わらない・・